・私は市の計画には問題があると考えており、計画の再検討を求めたいと思います。

・問題はいくつもありますが、私が最大の問題と考えるのは、タワーマンション(タワマン)の建設です。市の計画ではA街区に200世帯を擁する21階建てのタワマンを建てる、としています。

・私がそれを問題と考える理由は、タワマンはかなりの確率で廃墟化またはそれに近い状態となり、取手市の将来に悪影響をもたらすと考えるからです。

・建物はきちんと作って適切に管理しても、必ず老朽化し、何れ住めなくなる。最終的には解体して建替えるか更地にする必要があります。

・タワマンについて、その時期は、と言うと、タワマンは、特殊な建材と工法のため、実質耐用年数は意外に短い。30年で不具合が出て45年で寿命を迎える、と言う厳しい専門家もいます。

・売れてしまったタワマンは、買った人、つまり区分所有者たちの私有財産です。解体・建替えするなら、区分所有者たちの自腹で行わなければならない。その費用は莫大です。駅前のタワマンなら区分所有者は200人いる。建替えは全区分所有者の3/4、150名以上の賛成を以て決議しなければならない。

・しかし、例えば45年後、区分所有者の多くは建物と共に老齢化しており、莫大な費用負担に耐えられる人はほとんどいない。このため合意ができず、建物が解体も建替えもできずに廃墟化し、駅前の一等地に残る、このようなシナリオがかねてから指摘されています。その可能性は高いと思われます。

・しかも45年後には、人口減少が進んで取手市の経済規模も縮小しているでしょう。全国的に少子化と人口減少、それに伴う経済規模の縮小が喧伝されており、取手市も例外ではない。廃墟化したタワマンは人口減少と経済縮小が進んだ取手市を直撃し、重大な負債となっているでしょう。 

・以上、現今の取手市の計画は後の事を考えていない。「今だけ」、目先のことだけを追い求めた近視眼的な計画であり、中長期的には取手市の足を引っ張る「持続不可能」な計画と言わざるを得ない。未来の取手市に対して無責任と考えます。

・神戸市はタワマンの規制に舵を切りました。その理由の一つにタワマンの「持続可能性」を挙げている。朝日新聞の報道によれば、市長はこう言っている:「人口が減ることが分かっていながら住宅を建て続けることは、将来の廃棄物を造ることに等しい。タワマンはその典型」。識者が十数年も前から言っていたことを、自治体関係者がようやく口にするようになったのは進歩です。

・因みに、建替が困難なのはタワマンだけではありません。2020年現在で、築40年以上で既存不適格なマンション【1981年以前の旧基準で建てられたマンション】は全国に104万棟あり、そのうち建替えができたのは、計画中を含めても300棟未満と言う。【それも、容積率が余っていて建物の積み増しができるなど、条件が良かった物件が大部分とのこと】 マンションは一般に持続不可能な建物なのです。

・こうしたことが分かっているのに、取手市はなぜタワマン・ハコ物にこだわるのか、私には理解できません。

・視点を変えましょう。

・少子化・人口減少が進行する中で、取手のまちが持続可能であるためには、若い人たちを呼び込むことが必要だ。そのためにこそ、魅力的なタワマンが必要なのだ、と言う意見はあるでしょう。その意見には一理あります。

・東京都心部ではタワマン人気はまだ下がっていない。化けの皮は剥がれかかっていますが。取手でも、タワマンが売れて若い転入者が入ってくれば、駅西口は生活の場となり、にぎわいが復活するでしょう。市はそれを期待しているのかとも思います。

・しかしそれは持続的でない。一回限りかつ一時的なことです。タワマンは長年にわたり駅前を占拠します。住人は建物と共に年老いていく。にぎわいは続いてもせいぜい20年、タワマンはやがて劣化した集合住宅となり、駅前は老人のまちになり、かなりの確率で廃墟化する。取手の町のイメージに良いわけはない。タワマンは土地の再利用を阻害したまま人口減少時代に突入する訳です。

・取手市は似たことを十分経験しているはずです。かつて大規模な住宅団地を受け入れ、住環境整備に振り回され、今や空き家だらけの劣化した住宅街を抱えています。タワマンは同じ轍を踏むことになる。

・大規模な団地や集合住宅を造れば、一度に似た世代の人たちが集まり、同じ様なライフサイクルで動く。持続可能にはなりません。持続可能になるためには継続的に、若い人たちを呼び込んだり若者を育てたりしなければならない。タワマン、つまり大規模な集合住宅を造るのは、住宅政策としても愚策です。

・若者の呼び込みや育成、持続可能性の追求は、タワマンのようなハコ物の建設ではなく、住宅街の再生と行政サービスなどソフトな魅力によるべきでしょう。

・事情は非住宅棟も似たようなものです。リボンとりでビルやアトレはテナント獲得に苦戦しています。常陽銀行も西口を見限って撤退しました。その原因も問わずに新たなハコ物を建てれば同じ轍を踏むだけです。そこに公共公益を入れるなら、そのビルの面倒は市が見てあげる、と言っているようなものです。

・桑原開発も同じです。どれも10年か20年の一時的な賑わいのために莫大な税金を投下し、祭りの後に長期の停滞をもたらすものです。

・私は年齢的にそれらの結末を見ることはないでしょう。しかし、後は野となれ山となれ・我が亡き後に洪水よ来たれ、といった将来の世代に対する無責任な計画に賛同することはできない。

・私事ですが、この一月に孫が生まれました。今は両親と●●市でアパート暮らしをしています。孫に「おうちもあるから取手においで」と言いたいのですが、この計画ではとても言えない。取手市の将来を楽観できません。計画の再検討を求めます。