6)そもそも駅前の一等地の再開発がこれで良いのか、と言う問題

 いままでは、市の「図書館を核とした複合公共施設」整備計画に即して問題点を上げてきましたが、少し視点を変えてみたいと思います。

 再開発は地権者の事業ですから地権者の意向が尊重されるのは当然のことです。しかし「まち」の中には駅前など公共性の高いところがあります。そのような所は、時代によっても使われ方も変わるしインフラも老朽化しますから、その時々の要請に応じて再開発し、更新しつつ使い回して行く必要があるでしょう。そしてそれは「まち」が続く限り続きます。
 少子高齢化と人口減少が喧伝されており、取手市も例外ではないようです。今後人口が減少し、経済規模が縮小していくなら、再開発は将来の負担を大きくしないように進める必要があるでしょう。再開発は「持続可能」な形で繰り返していくことだと思います。
 この視点から見たとき、現在の西口駅前開発や桑原開発など、市の「開発重視」の姿勢には大きな疑問があります。「後の事」をまるで考えていないようなのです。それで良いのでしょうか?。

 広報とりで3月15日号によれば、取手駅西口の「A街区再開発」では、敷地内に再開発ビル(25階建て200世帯収容のタワーマンション(タワマン)と5階建ての非住宅棟)の建設が計画されています(タワマンは資材高騰などのため21階建てに計画縮小されました)。私たちは今、市がその非住宅棟に「図書館を核とした複合公共施設」を整備しようとする計画を批判しています。しかし、この再開発計画にはもっと大きな問題が隠れています。

 一般にコンクリート建築の経済的耐用年数は60年〜65年と言われています。タワマンは建物の軽量化のため特殊な材料と工法が使われるので、早ければ30年で劣化するとの推測もあります(*)。いずれにせよ、A街区に再開発ビルが完成すれば、それは何十年かにわたって駅前の一等地の姿を固定した上、耐用年数が尽きれば、建て替えなどかなり大規模な「再々開発」が必要になります。将来の市に大きな負担を残す訳です。

 その時、タワマンは特に厄介です。タワマンは、各住戸および住戸に分配される敷地は購入者(区分所有者という)の所有、建物は全区分所有者で作る管理組合の所有となっています。老朽化で建て替え、となれば、全区分所有者の3/4以上の賛成による決議を経て、管理組合が行う事になります。しかし、建物の解体にも再建にも莫大な費用がかかり、その間の転居費用も必要です。区分所有者は建物の老朽化と共に老齢化しており、その負担に耐えられる人はごく僅か(多分いない)でしょう。結局決議は成立せず、建て替えは実現せず、老朽化した建物が残り続けることになります。タワマンは実質的に建て替え困難なのです(*)。何十年か後、「街の顔」であるA街区のまん中に廃墟と化したタワマンがそびえている、管理組合はおろか住人もいないかも知れない、こんな未来が見えます。結局、市が何とかする他なくなります。市はタワマン建設を認めた以上、その危険も予見しておくべきなのです。

 神戸市はタワマンの建設規制に舵を切りました。市長は「人口が減るのが分かっていながら住宅を建て続けることは、将来の廃棄物を造ることに等しい。タワマンはその典型」と述べているそうです(朝日新聞、2024年8月5日朝刊)。神戸市と取手市で事情が異なるところはあるでしょうが、一般論としてはその通り。神戸市長の判断は自治体の首長として正しいと思われます。
 取手市はそれほど広くない上、取手と藤代の二つの旧市街地を持ち、ベッドタウンとしても発展してきたため規模の大きい住宅団地が散在しており、そのあちこちに空き家が点在しています。市が取り組むべき事は、駅前にタワマンを建てて一極集中することではなく、既存の市街地、住宅団地、地域を活性化し、再生・再利用することだと思います。国が少子高齢化対策として推進する「コンパクトシティ」は取手市には当てはまらないでしょう。

 ところで、これから、取手で、タワマンが売れるのでしょうか。タワマンは「まち」のランドマークにはなるでしょうが、もう珍しくはありません。タワマンは価格も維持費も万事高価で、耐用年数も怪しい。常磐線始発駅の「駅近」はメリットですが、電車通勤を考える人ならば職場に近い住居を探すでしょう。タワマンに人を集めるにしても、取手市としての「付加価値」が必要と思われます。

 先を見ていない大規模開発という意味では、桑原開発も同じ事です。遅々として進んでいませんが、市は桑原地区に大規模商業施設を誘致しており、広大な農地を商業施設に転換する計画です。これが成功すれば、取手市は集客力のある華やかな「まち」となり、税収も増え、市として暫くはハッピーでしょう。しかしその間に駅前をはじめ既存の市街地の「にぎわい」は殺がれ、特に商業地域の衰退が加速するでしょう。また、桑原地区へのアクセス道路が国道6号線と上新町環状線しかないところから、市内の交通事情も悪化するでしょう。そしてその大規模商業施設の「にぎわい」もせいぜい20年、施設が撤退したあと取手市に何が残るでしょうか。転換した農地はもう元には戻せません。固定資産税は跳ね上がるでしょう。住宅地にしようにも低湿地で交通の便も悪く、何より、その頃には取手市の住宅需要はしぼんでいるでしょう。広大な、宅地並み課税の空地が残るだけだと思われます。

 以上、大規模開発を続け、そのツケや後始末を次の世代に押しつけるような市政はもうやめませんか。市の「図書館を核とした複合公共施設」整備計画、市の開発方針は、一度立ち止まって見直しませんか。開発重視から市民生活重視に切り替え、今後人口が減少しても「まち」として続く「持続可能」な取手市を目指してはどうですか。また、そのような選択を考える時期に来ていませんか。

 取手市が「まち」として持続するためには、若い人たちを呼び込まなければなりません。とすればそれにふさわしい魅力を作り出し、アピールする必要があるでしょう。その魅力はハコ物ではなく、「ソフトパワー」で作り上げるべきでしょう。市民に寄り添ったきめ細かな行政サービスで、魅力ある「選ばれるまち」を目指してはどうでしょう。

 取手市は「『選ばれるまち』取手へ」という政策PR資料(原本は【こちら】)を出しています。残念ながら総花的で特に明確な特徴はなく、何に力点を置いてどのような「まち」を目指しているのかは読み取れません。この資料を見た若者に「選ばれるまち」にはなりそうもない気がします。随所に現れる「ほどよく絶妙」は何の特徴も示せないことの言い訳に見え、訴求力どころか、げんなりします。
 しかし「『選ばれるまち』取手へ」から、今、市が、手持ちの資源で「若者向けの魅力作り」ができる施策を探すなら、それは「子育て支援」かと思われます。ワンストップで市への転入希望者を支援するサービスを立ち上げ、「子育てのまち」をアピールしてはどうでしょう。それは取手市の「付加価値」にもなるでしょう。流山市やつくばみらい市が「子育てのまち」を掲げて転入者を伸ばしています。そちらと連携して「子育ての地域」を打ち出しても良いでしょう。人の移動の激しい社会になっています。子育ての間だけ住んでもらうのでも良いではありませんか。
 取手市には既に、定住化を促進する「とりで住ま入る支援プラン」、空き家を活用する「取手空家等利活用の媒介制度」があります。新しい住民は、駅前のタワマンではなく、住宅地で受け入れましょう。取手市は、東京近郊にありながら、広い農業地域とかろうじて残る自然があります。農業地域との連携を進め、地産地消により農産物の自給率を高めるなどして、魅力ある子育て環境を作り上げることが可能です。もちろん、身近に使いやすい図書館があることもその一つです。

 もう一度繰り返します。取手市は「お金がない」という理由で、保育所の廃止、学校の廃止統合、福祉予算の縮減を繰り返し、道路整備など都市基盤整備事業を後回しにしてきました。今でも保育所や公民館など公共施設を27%削減する計画が進行中です。そして「お金がない」原因に取手駅西口開発や桑原開発があることは、市の財政部長が2017年9月の市議会で認めています。
 しかし、大規模開発をやめれば、今まで放棄してきた公共サービスを再興するお金は出てくるはずです。生活重視で「持続可能」な取手市を。私たちは市民の一人一人として、それを市に求めます。

(*)この辺の議論は、榊淳司著「ようこそ、2050年の東京へ 生き残る不動産 廃墟になる不動産」(イースト新書、2020年刊)を参考にしました。